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2005年6月 8日

自分の幸・不幸を他人に依存させない方がよい

 誰か他の人に対して、例えば配偶者であったり、恋人であったり、子どもであったり、上司・部下であったり、「どうしてこうなんだろう」「こうしてくれないのだろう」と思って悩んだことはないでしょうか。
 そうしてその人に対して当たってみたり、恨みに思ってみたり、あるいはそうしてくれない原因が自分にあるのではないかと考えてむやみと落ち込んでみたり。

 確かに他人の行動について自分に原因がないかと考えてみることも大切なことだと思います。自分のちょっとした言動が、他人を傷つけてしまうこともあるので、そういうことについて、常に自分の身を振り返ってみる姿勢はとても大切です。
 しかし、他人との人間関係について自分の身を振り返り、あれこれ悩む場合には、我々は必要以上に自分を責めすぎてしまうことが多いのではないでしょうか。
 相手と自分との出来事について悩む場合、考え続けていると、思考の対象となる相手と交わしたちょっとした出来事に対してでさえ、繰り返し何度も何度も、考えられるありとあらゆることについて考えをめぐらし、その原因を自分に求めて右往左往してしまいます。そして、むやみやたらと落ち込むのです。
 それで原因が見つかればそこを直していけばよいのですが、何やら訳の分からないことの方が圧倒的に多いはずです。
 考えてみれば、相手が自分に好意的に行動してくれないことも含めて、「相手の行動の原因が自分にある」と考えるのは、自意識過剰なのではないでしょうか。
 相手は自分のことを、自分が相手を意識しているほどには考えていなくて、自分のペースで自然に振る舞った結果、自分が思うような行動をしてくれないことも多いはずです。
 そのような時に、「相手が思うように行動してくれない」といって落ち込むのは、結局、自分の幸・不幸を他人に依存させているということにはならないでしょうか。そのようなことをしていては、結局、相手が自分の望むような行動を取ってくれない限り、自分が幸せにはなれません。そしてたぶん、相手が自分の望むような行動を取ってくれている時にも、「これは何かの間違いではないか。今に自分の本性に気がついて、そのうち相手が離れていってしまうのではないか」などと考えてしまうのです。
 私自身、つい最近までこういう生き方をしてきました。そしてそのことに最近やっと気がつきました。これでは、自立した人間として生きているとはとても言えません。
 他人は、自分の意志とは関係なく、自立して生きています。その他人が、自分に関わってくれてうれしい時には大いに喜ぶべきですが、思うように関わってくれないからといって悲しむには当たりません。無理矢理にでも、自分は自分として、他人に依存しなくても幸福でいられる、少なくとも不幸ではない己のあり方を求めていくことが、結局は自分の幸福につながっていくのではないでしょうか。
 これは言うは安く、実際に行動するのは難しいかもしれません。しかし、そのような生き方を求めていれば、「相手が自分と関わってくれることが当然だ」というような甘えた考え方からは逃れることができます。そうすれば、相手が関わってくれないことをそれほど深刻に悲しむこともなくなるし、相手が関わってくれる喜びもいっそう身にしみます。
 「このように自分自身が自立していくことが、結局は自分自身も他人も幸せにする道だ」と、最近私は考えています。

投稿者 nekofumio : 2005年6月 8日 10:47

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