自分でやればできることはいろいろある

 何事であれ、自分でできそうなことに対しては積極的にチャレンジしてみるべきではないでしょうか。普通の人が専門家に任せなければできないと思っているようなことでも、やってみれば意外とできてしまうこともあるものです。「器用だから」「不器用だから」とやる気のない人はすぐに言いますが、本当は「不器用だからできない」のではなく、「やろうとする気がないからできない」だけであることの方がむしろ多いのです。

プロといってもたいしたことがない人も多い

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 自分でやろうとするきっかけは、「お金がない」とか、「やってみたい、興味がある」とかいろいろですが、やってみれば、専門家といわれる人が、「どれだけのことをやって、どれだけの報酬を得ているのか」ということがよくわかります。そしてそれが少しずつ見えてくるようになると、「これは自分でやろう」「これはあそこに任せた方がいいな」「あそこはプロといいながら、口先だけでいい加減な仕事しかしない」というような判断もできるようになります。
 その上、自分が少しでもそのことについて分かっていると、たとえプロに頼む場合でも、とんちんかんなリクエストだけはして後は全部お任せの場合とは違い、細かいことについて、「ここはああしてほしい」「ここはこうしてくれ」ときちんとした指示をだせるため、納得のいく結果を得ることのできる確率も高まります。

ブラックボックスの中身を知ればものが見えてくる

増設チャイム内部

 この世の中は、何もかもがブラックボックス化していて、中身の構造については何も知らないまま、私たちは悪くいえばあなた任せで生活していることが多のです。何かがあれば、「専門家」といわれるほとんど素人に毛が生えたような人たちに頼り、ものが壊れたといえば、どこが壊れたのか調べもせずにすぐ捨てて、新しいものを調達する。こんな生活の中で、知らないことのうちのただの一つについてでも、ちょっとでも分かるようになるということは、それだけで自分の見えなかった世界への視野が少しずつでも広がっていくということにつながるはずです。
 私はこのことを、「何事も『経験値』だ」ということにしています。それぞれの知識は断片的で些細なことでも、ブラックボックスの中身について知っていることが少しでも増えると、それが知らず知らずのうちに、生活の他の部分にも影響してくるはずだと私は考えているのです。

ぼろしかないのはむしろチャンスだ

家の全景

 もう一つ余談を付け加えるなら、「家を建て替えたい」とか、「自分の車はぼろい」とか思っている人がいたら、その人はチャンスだと思ってもいいということです。私がもし家を新築の時からずっと住み続けていたら、私の車が新車だったら、たぶん私はこのホームページに紹介しているような改造をする気にはならなかったと思います。「みんなが壊して立て替えてしまえ」というようなぼろ屋だったからこそ、壁紙をべりべりはいでいくことに躊躇がなかったのです。もちろんやったことのないことでしたから、「本当にきちんとできるのだろうか」という不安には常につきまとわれました。しかし、もしできなかったにしても、私には失うものは何もありませんでした。もしできなかったら、そうしたらその時こそぶっつぶして立て替えてしまえばよい。「今以上に悪くなることはない」と思えるからこそ、手を出せるということもあるのです。
 もし、「家を建て替えたい」とか、「自分の車はぼろい」とか思っている人がいたら、その人は新しい技術を身につけるチャンスだと思ってもいい。そういう人こそ気軽に改造に着手できる近道に立っているのだと思っていただければと思います。

 まあ理屈はどうあれ、自分のやろうとしていることについて「きちんと分かっている」というのは気持ちのいいものです。できるところから少しずつチャレンジしてみませんか。